平成最後の鎌倉の街並みを描いた画集「水彩印象画・平成鎌倉の記憶」の著者として、平成を生きてきた僕がみた鎌倉を水彩画のデモンストレーションを交えてお話しさせていただきました^^会場はわけあいあいと楽しいムードで盛り上がりました〜これからも鎌倉を描くことで日本の良さを発信していきたいと思います♪※鎌倉同人会は、大正4(1915)年に設立された鎌倉で最も古く由緒ある社会貢献団体です。 明治22(1889)年に横須賀線が開通すると、鎌倉の近代化が進み中央の政財界で活躍した人々が鎌倉に移り住むようになりました。 そうした中、明治の元勲・陸奥宗光を父にもち外交官として活躍した陸奥広吉伯爵、洋画壇の大御所の黒田清輝画伯、上野駅初代駅長で外交官となった荒川巳次、神川県知事だった大島久満次日銀役員だった池田豊作、鎌倉医師会初代会長の勝見正成ら日本を代表する鎌倉在住の人々が 発起人となって設立されました。 会名の選定と趣意書の起草は陸奥伯の恩師であった鎌倉女学校創設者の田邊新之助校長に依頼しておこなわれました。 当時、鎌倉は、海水浴に最適な海に面し、三方を緑深い山に囲まれた風光明媚な土地で、気候も温暖、しかも歴史的遺産が数多くありながら、それらを活かした町づくりがまだまだ不十分でした。 そこで鎌倉をさらに住みよい環境の町にし、観光地としても内外にもっとアピールすべきと考えて、同じ志をもつ人々に呼びかけてきました。 創立当初から昭和にかけて、鎌倉駅舎改築の要請、若宮大路の松並木の保護、段葛の改修・植樹、街灯・公衆便所の設置、寺社 ・史蹟等の保護補修・建碑・案内、郵便局舎の建設、鎌倉国宝館の建設、また関東大震災の時には救護薬品の寄贈や復興の援助を行うなど、当時、行政が手を付けられなかった事業も積極的に取り組んできました。 こうした活動により今日の鎌倉の基礎を作りあげる上で、多大の貢献をしてきました。(HP参照)